滞在型のスローツーリズムで見えてくる
さいはての地に息づく
伝統と革新
能登半島の先端に位置する珠洲市は、三方を海に囲まれたさいはての地です。起伏に富んだ地形は海からのランドマークとなり、古くから海上交通の要衝となって栄えました。珠洲市街が広がる飯田湾の北岸にある蛸島町は、江戸から明治期にかけては廻船業がとりわけ発展した地域。今もその歴史の面影を感じることができます。近年は国際芸術祭の舞台としても注目される珠洲・蛸島。その魅力をお届けします。
Slow-4
半島の突端ぐるり、気ままにドライブ
千変万化の空と海。
今日は1日、珠洲をドライブします。行き先は決めず、気の向くままに走ります。どこにいても空が広く開放感いっぱいの珠洲は、移動しているだけで楽しい、ドライブやツーリングに絶好の場所です。三方を囲む海は多彩な風景を見せてくれます。空も雲の形や輝きもさまざまに、刻々と表情を変えていきます。
見晴らしのいい海岸にクルマを停めて、水平線を眺めながら、ただひたすらボーッとしてみます。古来、珠洲の人々の暮らしは海と共にありました。暖流と寒流がぶつかる位置であり、大きな湾があることから漁場に恵まれ、さまざま魚種が水揚げされてきました。大阪と蝦夷地を結ぶ船、北前船の重要な寄港地としても栄えました。米や豆、藁製品、清酒などを積んで蝦夷に渡って売り、帰路に昆布やニシン、鮭、数の子などを積んで、秋田や新潟、富山に寄港しながら売り捌いたといいます。江戸中期から明治にかけては、珠洲は日本各地のモノや情報が集まり、人々が交流する日本で最先端の地だったとも言われています。
海の恵みを利用して、塩づくりも行われてきました。昔ながらの揚浜式製塩法でつくる天然塩はやさしくうま味たっぷり。珠洲の食文化に欠かせないものになっています。
珠洲の時間は、
ゆったり流れる。
お昼は外浦の小さな漁港にある「長橋食堂」で。名物のかに丼もさることながら、珠洲の天然塩でいただくお豆腐も絶品です。女将の坂本信子さんは新潟県から嫁いできたそうです。「珠洲の暮らしはすべて、お祭りを中心に考えられているんです。行事によって食べるものが決まっていて、何カ月も先のお祭りにために山菜やきのこを採って塩漬けしておこうとか、長い時間軸で物事が進んでいきます。昔はこのさいはての地で、自分たちでなんとか生きていかなきゃいけないという切実な事情があって、さまざまな知恵が独自の食文化をつくってきました。私はその堅実なところがとても好きですね」「禄剛埼灯台」や「珠洲焼資料館」などをめぐり、珠洲市中心部へ戻りました。夜は繁華街で焼肉店「とんき」へ。米寿を迎えた女将さんがひとりで切り盛りしています。能登牛のレバーを炙りながら熱燗をいただいていると、笛と太鼓の音が響き始めました。新型コロナでお祭りが中止になって残念だという話を耳にした地元の方が、雰囲気だけでもと祭囃子を奏でてくれたのです。伝統やしきたりを大切にしながら、よそから来た人にはオープンでおもてなしの心がいっぱい。人々の明るく温かい気質にふれながら、珠洲の夜は更けてきました。
物語を紡ぐ人~スロツーびと~
長橋食堂・女将:坂本信子さん