滞在型のスローツーリズムで見えてくる

さいはての地に息づく
伝統と革新

能登半島の先端に位置する珠洲市は、三方を海に囲まれたさいはての地です。起伏に富んだ地形は海からのランドマークとなり、古くから海上交通の要衝となって栄えました。珠洲市街が広がる飯田湾の北岸にある蛸島町は、江戸から明治期にかけては廻船業がとりわけ発展した地域。今もその歴史の面影を感じることができます。近年は国際芸術祭の舞台としても注目される珠洲・蛸島。その魅力をお届けします。

トップさいはての地に息づく伝統と革新滞在記 Slow-2

Slow-2

さいはてにたどり着いた人々

「ガクソー」の前にて。左から木津歩さん、中田さん夫妻、北澤晋太郎さん、新谷健太さん。

商店街の空き家を
新しい情報発信基地に。

「ガクソー」のコワーキングスペースを利用していた東京在住でアプリ開発会社に勤める方。
ゲストハウス「仮( )-かりかっこ-」に長期滞在しながら、アプリのデザイン業務に取り組んでいる。

珠洲市中心部の飯田町商店街はかつて市内の目抜き通りとして栄えていましたが、人口減少と共に寂れ、シャッターが目立つようになってしまいました。廃業後、長く空き家となっていた中田額縁店は2021年、文化交流や情報発信の多機能拠点「ガクソー」に生まれ変わりました。中心メンバーは若き移住者たち。新谷健太さんは北海道出身で金沢美術工芸大卒業後に珠洲に移住し、大学の仲間である楓大海さんと一緒にゲストハウス「仮( )-かりかっこ-」や飲食店を運営しています。他に長野県出身でデザイン会社を営む北澤晋太郎さん、千葉県出身で東京の広告企画会社に在籍する木津歩さんらを含む数名の移住者が、DIYで改装し、コワーキングスペースや動画配信スタジオなどを整えてきました。
新谷さんは今後の展望を話します。「珠洲は住環境は素晴らしいですが、子どもたちには都会の子との情報格差や教育格差が生まれがちです。北澤君は家庭教師や進路相談ができるし、僕はデッサン教室を開くことができる。ここで僕たちができるなにかで、彼らの未来の選択肢を広げる活動をしていけたらと思います」
折しも、旧中田額縁店の家主であり現在は金沢市に住む中田夫妻がやってきました。「へぇ、こんなふうに使ってもらってるんだ。建物の面倒をみてもらえるだけでありがたいのに、街に活気を生んでいてくれていて、本当にうれしいですよ」

いつからか棲みついた「ガクソー」のアイドル猫。名前は……みんなが勝手な名前で呼んでいるため不明。

ゲストハウス「仮( )-かりかっこ-」を運営しながら「ガクソー」の機能拡充に努める楓さん(左)と新谷さん。共に大学卒業と同時に珠洲への移住を決めたふたり

「ここには鈴木大拙(世界的な仏教哲学者)も間借りして住んでいたそうです。今もいろんな魅力的な人がここに集まってきてくれてうれしいよ」と中田さん夫妻

自然暮らしと、
理想のレストランと。
どちらも実現する新天地。

丘陵に囲まれたのどかな田園地帯に佇む「農村宿 大坊」。

建具に至るまで豪壮な造りのお屋敷

この日のパスタは2種類を少しずつ。甘海老のペペロンチーノ(左)と能登牛ボロネーゼソース宗玄酒粕クリーム添え(右)。珠洲らしい海山の魅力を一挙両得。

「価値ある古民家を次世代の手へ。宿をやることでそのバトンを渡せたら」と三ッ井基記さん

食事も宿泊も1組限定で要予約。珠洲の食材をふんだんに使ったイタリア料理をいただける農家民宿レストランがあると聞いて訪ねました。築100年以上の古民家を改装して2019年10月にオープンした「農村宿 大坊」です。
現代的にリノベーションしたダイニングでイタリアンの創作懐石を味わいます。「本日の畑の恵み」と銘打ったシンプルなサラダには、レタス、トマト、夕顔、イタリアンパセリ……その美味しさに思わずうっとり。野菜のほとんどは、店主の三ッ井基記さんが自家栽培したもの。「珠洲は肉も魚もうまいけれど、粘土質の畑で育つ野菜、そして海の天然塩は群を抜いていると思います。とれたての野菜に塩を生かしたシンプルな味付け。それだけで十分に美味しいから、自分の料理も自然とシンプルに変わってきましたね」と三ッ井さんは話します。
神奈川県出身の三ッ井基記さんは、30年以上前に長野県の山あいにレストランを構えましたが、時代と共に環境が騒々しくなってしまったことから、新天地を求めて全国を探して歩きました。珠洲に辿り着いた時に「ここだ!」と即断したそうです。
「珠洲まで来ると、幹線道路にもショッピングモールがなくなり、完全に都会の喧騒を離れたという感覚になります。古民家が良い状態で残っているし、もちろん食材の質も申し分ない。すぐに移住を決めました」。これからは、やりたいことを自分たちのペースで。限定予約は、三ッ井さん夫妻が自然な暮らしと理想のレストランを無理なく両立する、ちょうどよいスタイルなのです。

イタリア・トレンティーノのレストランでたびたび腕を振るってきた三ッ井さんは、イタリア人が古い建物を大切に受け継いで使い続けることをうらやましく見ていたという

そこかしこに置かれている漆器や陶器が目を楽しませてくれる。

カツオ炙りカルパッチョ。「珠洲焼と珠洲の塩が見せる黒と白のコントラストがたまらない」と三ッ井さん。

物語を紡ぐ人~スロツーびと~

この家につく酵母のおかげかな。
自家製味噌は長野にいた時より格段にうまくなったね」

農村宿 大坊・オーナー:三ッ井さん夫妻

人間を癒し、馬も癒される、ホースセラピーの可能性。

半島の先端に位置する珠洲市三崎町。その高台に愛知県出身の移住者、大野隆志さんの農園「タイニーズファーム」があります。牧草や畑の作物をエサに家畜を育て、家畜の糞から作った肥料は牧草地と畑へ還元。大野さんはいくつもの小さな小屋(タイニーズハウス)を建てて、ヤギや鶏と共生する有畜循環型農業を実践しています。
この農園に1頭の馬がやってきました。引退した競走馬・ドリームシグナルです。彼はこの地で余生を送ることになりました。日本で産出される競走馬は年間約7,000頭。成績不振やケガなどで引退した競走馬は、ごくわずかが乗馬クラブなどで第二の人生を送るものの、大多数が役目を得ることができず殺処分されます。その数なんと年間約2,000頭。そんな中で注目されているのが、馬とのふれあいによって心身のリハビリを行うホースセラピーでの役目です。「タイニーズファーム」では、ドリームシグナルを保護・育成を皮切りに、ホースセラピー事業に取り組んでいます。
調教師の角居勝彦さんは、このような環境でホースセラピーを実践する意義について話します。「鬱状態や引きこもりの人が馬を世話して体温を感じたり、馬と息を合わせて乗馬したりすることで、心身によい影響があることがわかっています。馬にとっても自由に自然の牧草を食べることができて、適度に人間に触ってもらえるのは、ストレスなく過ごせる環境なんです」。
ドリームシグナルもまた、理想の環境を求めてさいはてにたどり着いたひとりなのです。

ホースセラピーでの役目を得て、珠洲で余生を送ることになった競走馬、ドリームシグナル

移動可能な居宅や鶏小屋など小さな小屋が点在する「タイニーズファーム」

ヤギも鶏も広々とした敷地で悠々と過ごしている。

夏場はまとわりつくアブを追い払ってほしくて、馬の方から身体を叩いてほしいとねだることも多いとか

「ドリームシグナルは珠洲に来てから腰の痛みのないようで調子がよさそう。よほど環境が合っているんじゃないかな」と角居さん

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