滞在型のスローツーリズムで見えてくる

さいはての地に息づく
伝統と革新

能登半島の先端に位置する珠洲市は、三方を海に囲まれたさいはての地です。起伏に富んだ地形は海からのランドマークとなり、古くから海上交通の要衝となって栄えました。珠洲市街が広がる飯田湾の北岸にある蛸島町は、江戸から明治期にかけては廻船業がとりわけ発展した地域。今もその歴史の面影を感じることができます。近年は国際芸術祭の舞台としても注目される珠洲・蛸島。その魅力をお届けします。

トップさいはての地に息づく伝統と革新滞在記 Slow-3

Slow-3

歴史香る蛸島ぶらり

旧島崎家の蔵。土壁が剥き出しになりながらも、今も力強く建っている。

蛸島町には、キリコを収納する大きな倉庫が点在する。総漆塗りで豪華な彫刻が施された蛸島のキリコは、能登の中で最も美しいと称される

北前船の栄華の香りを
宿す家。

旧島崎家の居間には、船箪笥などの調度品や寄港地で購入した貴重な品が展示されている。

下見板張りの外壁、奥に長い土間、港を監視する小部屋など明治期の廻船業者の浜屋造りの特徴がよく現れている旧島崎家。2階の小窓は港を監視するためのもの

「珠洲に来たらぜひ見てほしくて」とゲストハウス「仮( )-かりかっこ-」の新谷健太さんは、蛸島町を案内してくれました。蛸島町は飯田湾の北岸に位置する蛸島漁港から広がる集落です。海岸には船からの目印となる高さ30mの小高い丘が、沖合400mには辨天島があります。さらに、水深があって船の出入りに便利なことから、古くから漁港の街として栄えたといいます。
漁港に面する旧島崎家は、珠洲最古の北前船主家屋。島崎家の屋号は「三蔵」で、明治期には「松前(北海道)行くなら三蔵の船で」といわれ、三蔵の船で珠洲から多くの人が渡って行ったそうです。現在、家屋は地域の交流拠点として利用されていて、内部を見学することができます。旧島崎家を管理する赤坂敏昭さんは、家屋について解説してくれます。「実は2階に隠し部屋があり、そこにつながる居間の隠し扉もあります。北海道へ渡る人を引き止めようと家族が来た時に、会わせないためだったそうです。家族に会ってしまうと互いに別れが辛くなるし、気が変わってしまうこともある。北海道へ渡るということは、それだけ大変な決断だったということですね」。
人々のさまざまな思いを受け止めてきた旧島崎家。悠久の時を経ても変わらない空間で、往時の雰囲気を体感することができました。

今では辨天島も防波堤で陸続きとなり、安全に守られている蛸島漁港。

旧島崎家を管理し、蛸島町の歴史にも詳しい赤坂敏昭さん。

「三蔵」の屋号のとおり、島崎家には3つの蔵があったが、現存するのはこのひとつのみ。母屋と共に奥能登国際芸術祭の作品展示会場として活用された

黒瓦の屋根も蛸島の街並みの特徴。銭湯だった建物をふと見上げると、一見鬼瓦と思いきや、恵比寿様が

物語を紡ぐ人~スロツーびと~

珠洲の人って『悪ないな』って
よく言う。いつも前向きな
ところが好き」

「仮 -かりかっこ-」代表:新谷健太さん

家族4人で守る
昔ながらの酒造り。

蔵の建物は築100年以上。それも古民家を移築して建てられたもの。
昔ながらの設備と道具で酒造りを続けている。

蛸島の漁師たちは昔から大の酒好き。かつて漁師町として栄えた時代には、1km四方ほどの集落に4軒の酒蔵があったそうです。現在、そのうちの1軒、「櫻田酒造」が酒造りを連綿と続けています。
4代目蔵元であり、杜氏を務める櫻田博克さんは、1915年創業の蔵の歴史を紐解きます。「漁師だった曾祖父さんが、いまだに謎なんですが、なにかで大儲けしたらしいんです。それを元手に金融業もやるようになって、借金のカタに田んぼをいくつも手に入れて。でも米を持て余すようになって、苦肉の策として酒造りに乗り出したのが始まり。大の酒好きだったから、自分が造れば好きなだけ飲めるだろうという魂胆もあったらしくて(笑)。以来、代々家族で細々とやっています」。
現在は、櫻田さん夫妻と櫻田さんの両親の4人が力を合わせ、石川県独自の酒米、石川門や百万石乃白などを使って酒造りに取り組んでいます。生産量は200石(一升瓶換算で2万本)と少なく、その5割以上が地元で消費されるため、珠洲以外で見かけることはまれ。最近は、めずらしい酒を追い求める日本酒マニアからの注目度が上がってきています。

櫻田酒造では純米系の「大慶」と本醸造の「初桜」、
ふたつの銘柄の酒を醸している。

物語を紡ぐ人~スロツーびと~

自分の代まではなんとか酒造りを続けたい」

櫻田酒造4代目・杜氏:櫻田博克さん

刺身でうまいとびきりの鮮魚を
あえて干物に。

干物は塩加減も乾燥時間も魚種によって変えていて、どれも素材本来の風味を生かした甘口

「普通の干物業者がどうやってるかを知らずに始めちゃったのよ。だから刺身用の魚を使うし、
漬け込む液も魚種によってひとつひとつ変えて、使い回しもしない。儲からないよ」と番匠利一さんは笑う

能登は美味しい魚が獲れるところ。なかでも蛸島は魚種が豊富なことで知られています。蛸島漁港に隣接する「さかなや 甚五朗」は、そんな豊かな魚介を干物や昆布〆などに加工販売しているお店です。店主の番匠利一さんは、長年、太平洋や日本海で漁をして巡る船団を陸上からサポートする仕事をしていたそうです。各地の魚を熟知している番匠さんは、能登の魚の美味しさに胸を張ります。「春のアジ、サバ、夏の甘鯛、サザエ、秋のハタハタ、メギス、甘エビ、冬のタラなんかは、わるいけどね、能登のものがどこよりもうまいと思うよ」
一般的に、干物には刺身用として売れ残った魚が使われることが多いですが、「甚五朗」では朝仕入れた刺身用の魚を惜しげもなく干物にしています。漬け込む液も必ず毎日取り替える徹底ぶり。干物でありながら、素材本来のフレッシュな風味を楽しめます。
あの人にも食べさせたい……。番匠さんおすすめの干物を詰め合わせて、日頃お世話になっている方へ送りました。蛸島の空気を感じてもらえるといいな。

蛸島漁港からすぐの「さかなや 甚五朗」は、下見板張りの味のある建物。

「おもしろいものがあるよ、食べてみな」と番匠さんは、脱皮したての甘海老を焼いてくれた。
殻ごといただけるとあって、丸ごとパクリ。海老の甘みが口いっぱいに広がる

魚料理自慢の宿で、
蛸島の海鮮ざんまい。

お造りは真鯛にメバル、甘海老など。どれもプリップリ。

「魚が好きなら、いい宿があるよ」と聞いて、蛸島の「民宿むろや」に泊まることにしました。ここは食堂を併設していて、食事だけをいただくこともできます。料理を一手に担う主人の室谷千代和さんは、蛸島漁港の仲買人の資格を持っていて、毎朝競りで朝獲れの魚を買い付けています。お造りを運んできた室谷さんは「魚好き?料亭みたいな凝った料理はできないけど、うまい魚を出すからね」と言い、また厨房へ戻って魚を次々と捌いていきます。
焼き物、煮付け、唐揚げ、あら汁……。長年、蛸島漁港の魚を見続けてきた室谷さんのお眼鏡にかなった魚は、抜群のモノのよさ。飾らない、シンプルな調理によって、素材本来の真っ直ぐな美味しさを堪能できます。
「お腹いっぱいになった?」。はい、なりましたとも。幸せです。

ホクホクとした身がたまらないカサゴの塩焼き。

カサゴはこっくりと煮付けにも。「白いごはんにも合うよ。持ってこようか?」。

サザエの壺焼き。身が肉厚でうま味たっぷり。

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