滞在型のスローツーリズムで見えてくる
深い森に抱かれて
生きる知恵と伝承
富士山、立山と並び日本三大霊山の一つに数えられる白山。2100年前より神々が住まう神聖な霊峰として崇められてきました。そのふもとに位置するエリア「白山ろく」は、白山信仰の影響が色濃く残る地域。奥深い山に点在する集落は、かつて交易が不便で、農耕で得られる産物も限られていたことから、集落ごとに自給自足して暮らす知恵が発展していきました。ベースにあるのは、四季折々の山の恵みを生かした、身の丈に合った生活。現代にも根づく暮らしの知恵と伝承を体感しに行きました。
Slow-3
見つけた、
大切な時間を
過ごせる場所
夫婦ふたりで切り盛りする
古民家の宿。
能登の一流料理店の店主たちが家族を連れ立って定期的に通う小さな宿が白山ろくにあるーー。そんなうわさを聞いて、訪ねてみることに。仏師ヶ野という集落にある『山里の香りただよう宿 ふらり』です。金沢出身の高木啓介さん・綾子さん夫妻が、もともと建っていた古民家の空き家を改修して開いた宿。普通の民家のような外観で、控え目な看板がかろうじて営業施設であることを伝えてくれます。
客室は3部屋。古材の梁と白壁のコントラストが印象的な空間には、一応テレビもありますが、モニターにはお手製のカバーが掛けられていて、しばし俗世を忘れることができます(実際、滞在中にテレビを点けることはありませんでした)。檜の香りが漂うお風呂をいただいて、食事処へ向かうと、ご主人の啓介さんが、囲炉裏でイワナを焼いていました。もういい香り。
旬の山の素材をたっぷりと使った料理は、素朴で、そして繊細。「素朴と繊細」って矛盾しているようですが、素朴な山の滋味がきめ細やかで丁寧な日本料理の技術によってまるごと引き出されている。そんな印象です。おすすめというイワナの骨酒を傾けながら、夜は更けていきました。
とことん美味しい、
日本一の朝ごはん。
障子を通ったやわらかな朝日に気づいて起床。鳥の声がします。窓を開けると、薄もやの中に光る手取川。静謐な山の朝です。
散歩から戻ると、ほかほかの朝ごはんが待っていました。土鍋で炊いたごはんに、きのこ汁。赤ずいきやカブ、梅干しなどのお漬物セットだけでごはんをモリモリいけますが、他にもイワナの一夜干しやニジマスの昆布〆、自然卵で卵かけごはん……おかわりが止まりません。
啓介さんは、囲炉裏でイワナを焼きながら、宿を開いた経緯を話してくれました。長年かけて思い描いてきた理想の宿をできる限り形にしたのが、この『ふらり』だそうです。20歳前にスノーボードに熱中するあまり、「将来は宿を開きたいから」ともっともらしい理由をつけて会社を辞めた啓介さん。長野県白馬村でスノボ三昧の冬を過ごしたあと、心は本当に旅館業の道へ傾いていきます。割烹や温泉旅館などで日本料理と旅館業の修業を10年近く積み、郷里の金沢近郊で開業するための物件を探し始めました。自然が豊かな環境に、夫婦ふたりでサービスがゆき届くように客室3部屋ほどを造れる小さな古民家の空き家物件はないか。
「とにかく足で稼いで探し回りましたが、全然見つからなくて。どんどん範囲を広げて探すうちに、白山ろくにまで来ました。それまでいろいろと見ているうちに、自分の中に理想的な絵ができていたんです。山あいに静かに川が流れていて、そこに橋が架かっています。橋を渡った先は小さな集落あるだけで行き止まり、そこにほどよい空き家があったらいいなと。……それを見つけたんですよ。ここに」と啓介さんは笑います。
“自分が泊まるなら”を
大事にした心づくしの
おもてなし。
山と川が織りなす心地よいシチュエーション。高木さん夫妻の穏やかで実直な人柄が伝わってくるような、地の食材満載の美味しいごはん。適度な距離感を保ちながらもきめ細やかなサービス。1泊してみて、この宿が旅慣れた人たちに愛されている理由がわかったような気がします。
「自分たちが泊まるんなら、どんな宿がいいか?その視点を忘れないように、ふたりで少しずつできることを形にしてきたんです。料理も、初めは海の魚を出していましたが、ここに泊まるならやっぱり山の食材がいいよねとか。何をするでもなく、ただひたすら時間の流れを楽しむには、どんな空間がいいかねとか。自分が泊まりたいと心から思えることを大切にしたいですね」と啓介さんは話します。
綾子さんは、ここには何も無いようで、必要なものは全部あると話します。
「結局、人間は口から入るものでできてると思うんです。とびきり美味しい空気と美味しい水がここにはあるし、旬を感じられる新鮮な食べ物がいっぱいあります。都会からこっちに来てからは物欲がなくなりましたね(笑)。たとえば、バードコールで目が覚める。夜は虫の声がBGMって、最高の贅沢だと思うんです。この恵まれた環境に心が満たされたからでしょうね、物欲がいつの間にか無くなったのは」
美味しい食材と、
素敵な人材の宝庫。
食材の仕入れ先をまわるという啓介さんに同行させてもらいました。
まずはなめこの生産現場。「でけえなめこ」を作る生産者です。高い湿度が保たれた部屋には、なめこの菌床がびっちり。大小のなめこがツヤツヤとかわいらしい姿を見せています。白山ろくでは、古くからブナやトチノキの倒木になめこが自生し、年一度の大切な行事である報恩講でも、重要な食材として食べ継がれてきました。1972年から生産組合によって菌床栽培が始められ、現在は「合同会社 山立会」の若者たちによって事業が引き継がれています。
「移住するまで白山には人なんておらんと思っていたんですけど(笑)、もちろん全然そんなことはなくて、むしろ元気でやる気のある若者たちとの付き合いが増えました。あそこにおもしろい食材があるよとか、あの人がユニークなこと始めるらしいよとか、人と人とがすぐにつながり、顔が見えるネットワークができるところは、白山ろくの大きな魅力ですね」と啓介さんは話します。
「とうふ 伝好」では、啓介さんのお気に入りの堅豆腐や油揚げなどを仕入れます。店主の出口浩志さんは、「油揚げはどんなんして食べた?」「豆乳はどうやった?」と啓介さんから情報収集に余念がありません。
「誰が作った豆腐なのか、誰が育てた野菜なのか、誰が仕留めたジビエなのか、それを知り、食材を理解したうえで料理できるのは、料理人にとっては幸せなこと。それも、都会ではできない、ここならではのことですね」と、食材を手に入れた啓介さん。夕食の献立がひらめいたのでしょうか。颯爽と宿へと戻っていきました。
物語を紡ぐ人~スロツーびと~
山里の香りただよう宿 ふらり 宿主/高木さん夫妻