滞在型のスローツーリズムで見えてくる

山と雪に閉ざされた
孤高の集落

白山のふもと、標高約500m。手取川と大道谷川に挟まれた段丘上に、白峰の集落はあります。平地が少ないため耕作地はほとんどなく、農業の代わりに養蚕業が盛んに営まれていました。建物は積雪4mを超えることもある豪雪に耐えるため、土蔵造りが基本。養蚕に適した構造になっています。その独特のまちなみが評価され、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。ノスタルジックな雰囲気が漂う白峰をめぐります。

トップ山と雪に閉ざされた孤高の集落滞在記 Slow-1

Slow-1

美しいまちなみを受け継ぐ

白峰の美しいまちなみは、重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。

大型民家の遺構として貴重な旧山岸家住宅。主屋は大壁造り3階建て

旧山岸家住宅には、敷地内に庭園や水路も昔のままに残る

山村の養蚕集落の
面影を残す里。

白峰地区は深い山々に囲まれた豪雪地帯。

縦に細長い石川県の南端に位置する白山市白峰。隣の集落までは15km、最寄りのコンビニまでは車で30分ほどかかる陸の孤島のような集落です。平地が少ないことから耕作地はほとんどなく、限られた土地に家々が密集しています。養蚕業に適し、豪雪に耐えられるように工夫された建物が、直線距離1kmほどに200軒あまり建ち並びます。その独特の景観は、2012年に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。
NPO法人白山しらみね自然学校事務局長の山口隆さんに、まちを案内していただきました。「白峰の現在の人口は600人余り。江戸時代、養蚕業や製炭業で栄えた頃は4000人近くが暮らしていたと言われています。商用などで訪れる人も大勢いたので、さぞかしにぎやかだったことでしょう」と山口さんは話します。
白峰の家は3階建てが基本。1階が居住スペース、2階が養蚕などの作業スペース、3階が倉庫となっています。2階に大背戸と呼ばれる窓を設けているのが特徴で、養蚕のための桑や冬の燃料の薪を出し入れするために使われていました。
江戸時代、白峰は「牛首村」と呼ばれ、白山ろくにある幕府直轄の天領18カ村の中心地でした。山岸家は代々、幕府と18カ村所の間を連絡・調整する取次元という役職を務め、養蚕や酒造、木材、金融などを生業とした名家です。旧山岸家住宅は白峰の伝統的な住宅様式を今に伝えます。

NPO法人白山しらみね自然学校事務局長でまちなみガイドなども務める山口隆さん

屋根の雪下ろしのための大梯子がかけられているのも、白峰の伝統的な建物の特徴

白山信仰の伝統をつなぐ。

白峰地区最古・最大の寺院、無量光院林西寺。
国指定重要文化財である銅造十一面観世音菩薩立像などの白山本地仏を安置する。

まちの中心部にある林西寺は、奈良時代に白山を開山した泰澄大師の開基とされる古刹。「白山本地仏(はくさんほんじぶつ)」が祀られています。「白山本地仏」とは、もともと白山山頂付近に安置されていた平安時代の銅造十一面観音坐像や銅造阿弥陀如来坐像などの仏像です。明治時代、神仏習合の慣習を禁止する神仏分離令が政府から発令されたことで、仏教寺院や仏像などを破壊する廃仏毀釈の運動が起こりました。当時の林西寺の住職は、白山にあった仏像を山から下ろし、白山下山仏として寺に安置して守りました。
林西寺の隣にある八坂神社にもお参りしました。泰澄大師が開いた薬師堂が起源とされますが、明治時代の国策により神社となりました。本殿には病気を癒して健康を守る薬師如来をも祀る珍しい神社です。仏教から始まった白山信仰を大切に受け継いできた白峰の人々の思いが詰まった場所と言えるでしょう。
「まちの規模からすると、林西寺はとても大きな寺院です。見事な彫刻は永平寺の宮大工集団の一つが11年かけて完成させたそうです。これだけ立派な寺を造り、守ってこられたのは、養蚕業で白峰がとても潤っていたこと、そして、住民に厚い信仰心があったからだと思います」と山口さん。厳しい自然環境の中で、仏様は人々の心の拠りどころとなってきたのです。

林西寺の精緻な彫刻が施された意匠に目を奪われる

林西寺の隣にある八坂神社。泰澄大師が建てた薬師堂を起源とし、明治時代の神仏分離の際に神社となった