いしかわを選んだ料理人たち

トップNOTOFUE

能登で結成された
料理人団体
「NOTOFUE」
とは?

2021年、能登の豊かな里山里海の環境、資源を後世につなげるために、一般社団法人「NOTOFUE」(ノトフュー)が発足しました。能登を中心に地域コミュニティづくりに取り組む関幸太郎さんが発起人となり、石川県の料理人を中心として結成された団体です。メンバーは、輪島市のフランス料理店『L’Atelier de NOTO』の池端隼也さん、金沢市のスペイン料理店『respiración』の梅達郎さん・八木恵介さん・北川悠介さん、金沢市のフランス料理店『MAKINONCÎ』の牧野浩和さん、七尾市のイタリアン・オーベルジュ『Villa della Pace』の平田明珠さん、七尾市の日本料理店『一本杉 川嶋』の川嶋亨さん。いずれも全国的に注目される気鋭の料理人たちです。

L’Atelier de NOTO
ラトリエ ドゥ ノト
池端隼也さん

1979年輪島市生まれ。大阪の調理師学校卒業後、フレンチの名店「カランドリエ」で修業。2006年に渡仏し、ブルゴーニュの星付きレストランで研鑽を積む。帰国後は大阪で出店予定だったが、帰省した際に能登の食材の素晴らしさに気づき、地元での開業を決意。2016年『L’Atelier de NOTO』をオープン。

respiración
レスピラシオン
梅 達郎さん

1980年東京都生まれ。異業種から和食の世界に入り、27歳でスペイン・バルセロナに渡り、星付きレストランで修業を積む。幼稚園からの幼なじみである八木恵介さん、北川悠介さんと共に2017年、シェフ3人体制のモダンスパニッシュレストラン『respiración』をオープン。

MAKINONCÎ
マキノンチ
牧野浩和さん

1979年金沢市生まれ。19歳で料理の世界に入り、京都、名古屋、東京の「ル・マノアール・ダスティン」などの店での修業を経て渡仏。帰国後の2007年に「フランス料理makino」をオープン。2020年『MAKINONCÎ』を移転リニューアルオープン。

Villa della Pace
ヴィラ デラ パーチェ
平田明珠さん

1986年東京都練馬区生まれ。大学卒業後、一般企業を経て、都内のイタリア料理店で修業を開始。食材探しのために全国の生産者を訪ねる中で能登に魅了され、移住・開業を決意。2016年、七尾市白馬町に『Villa della Pace』をオープン。2020年、同市中島町にオーベルジュとしてリニューアルオープンした。

一本杉 川嶋
川嶋 亨さん

1984年七尾市生まれ。短期大学卒業後に和食の道を志し、大阪の調理師専門学校へ。大阪と京都の日本料理店、星付きの居酒屋などで修業し、和倉温泉の旅館「のと楽」の料理長に就任。2020年、七尾市の一本杉通りに日本料理店『一本杉 川嶋』をオープン。

関幸太郎さん

1991年東京都杉並区生まれ。早稲田大学にて体育会アメリカンフットボール部にて所属。大学卒業後、株式会社JTBに入社し法人営業を主として活躍。
2022年6月にEllange株式会社を設立し、地域における課題の解決に正面から取り組む。

「NOTOFUE」は「100年後のNOTOの食文化を創造する」というミッションを掲げています。全国的に漁獲量が落ち込み、田畑の作物や野山の天然の食材も気候変動の影響を受けるようになってきました。また、畜産は飼料の多くを外国産穀物に頼るなど食料自給率やフードマイレージの課題も見過ごせなくなっています。そんな中、料理をするうえで大切にしてきた地産地消をいかに無理なく持続し、より良い食文化を築いていくために、「NOTOFUE」は自らが根ざす能登において活動してきます。
生産現場の視察や研究機関との勉強会などを通じて現状を知ったうえで、生産者と料理人が力を合わせて技術の伝承やレシピ開発などに取り組みます。さらに、課題を広く発信・共有することで、豊かな里山里海を次世代につなげていくのが狙いです。

メンバーみんなで「のと海洋ふれあいセンター」に隣接する「磯の観察路」を巡る。

「のと海洋ふれあいセンター」にて、能登半島を取り巻く海の歴史と現状を詳細にわたって学んだ。

2022年3月、「NOTOFUE」は第1回目の勉強会を実施しました。
まずメンバーが向かったのは、能登町にある海の自然の調査研究施設「のと海洋ふれあいセンター」。坂井恵一研究員により、能登の海の歴史と現状について詳細にわたる講義を受けました。
一般的に、能登沖は暖流と寒流がぶつかることで好漁場になっていると語られることが多いですが、実際には上層の暖流と下層の寒流は混じることはなく、漁獲量や魚種の豊富さは別に要因があるという解説を受けて、メンバーは一様に驚きます。また、深刻だとされる海水温上昇についても、「少しずつ上がっていることは間違いないものの、10年、20年というスパンでは、その変化はごくわずか」というデータを前に、あらためて現状を冷静に把握することの大切さを実感しました。

九十九湾の「磯の観察路」を生き物を探しながら散策。研究員が海藻を一つひとつ解説していくと、「このハバノリは上物だ」「アカモクはメスの方が美味しいよね」と料理人ならではの会話が弾む。

美しいグリーンのウスバアオノリ。みんな料理人らしく、とりあえずちぎって試食してみる。

海の現状を知ったことで、実際的な質問や意見が活発に交換されました。その一部を紹介します。

池端隼也さん
「ズワイガニは獲り過ぎだと言われているものの、坂井先生によると繁殖期は獲らない、小さいものは獲らないといったルールが守られていれば、本来は問題ないとのこと。料理人としては、繁殖期に買わない、小さいものは買わないときちんと自分の中にルールを持つことが大切だと感じました」

梅達郎さん
「金沢に生まれ育ちましたが、こうして内浦の海岸をじっくりと見る機会はありませんでした。こうして見るといろんな海藻が生息していて、ほかの魚介もその恩恵を受けて生きていることがわかります。海苔一つとってみても今回の経験によって、選び方や使い方の意識が変わってきます」

牧野浩和さん
「海中の岩陰に潜むムラサキウニの減少が叫ばれるなか、岩の上に付いて海藻を食べ尽くしてしまうキタムラサキウニは捕獲されず市場にも出回っておらず、しかも美味しいとの話。また、網にかかっても能登では価値の低いアンコウやイスズミの仲間など未利用魚も多いという現状を知りました。海の資源を有効利用するために、料理人の立場からもっと積極的に関わっていきたいです」

平田明珠さん
「長い地球の歴史の中で人間が生きている時代はごくわずか。ある魚は獲れなくなったけど代わりに別の魚が獲れるようになった。このきのこは無くなったけど、別のきのこが出るようになったとか、変化も自然の一部だと考えています。今回、科学的根拠に基づく話を聞いてそれが確信に変わった面もあります。常に大きな視点と小さな視点の両面で物事を見る必要があると実感しました」

川嶋亨さん
「10年後、30年後の能登の海について、坂井研究員が『環境を整えてさえいれば海はちゃんと育つ。漁業をはじめとする仕組みが大事』と悲観していないことに勇気づけられました。持続可能な漁業のためには、漁師と市場の関係を見直していく必要があります。そこに料理人としてうまく関わって、未来への種まきをしていきたいです」

初めはサラブレッドの巨体に圧倒されながらも、ふれあいによって次第に人間も馬もリラックスしてゆく。

「のと海洋ふれあいセンター」をあとにして一行が向かったのは、美しい砂浜が広がる珠洲市の鉢ヶ崎海岸。そこには2頭の馬が待っていました。中央競馬で活躍したレッドアルティスタとドリームシグナルです。現在、珠洲市では、引退した競走馬が余生を過ごすための施設と仕組みづくりが進められています。
日本で産出される競走馬は年間約7,000頭。毎年、ケガや成績不振により多くの競走馬が引退し、そのうちごく一部が乗馬クラブなどに引き取られるものの、多くの馬は新たな役目を得ることができず毎年2,000頭が殺処分されています。その現状を変えるために、引退馬の活躍の道が模索されています。
珠洲市でヤギや鶏と共生する有畜循環型農業を実践する「タイニーズファーム」では、牧草や畑の作物をエサに家畜を育て、家畜の糞から作った肥料を牧草地と畑へ還元しています。レッドアルティスタとドリームシグナルは、そこでセカンドキャリアをスタートさせました。牧草を喰みながら自由に過ごす一方、馬とのふれあいによって心身のリハビリを行うホースセラピー用の馬としてのトレーニングを続けています。

引き取る馬をいかに増やしていくか、飼育スタッフや牧草地の確保などの課題に取り組んでいる。

循環型農業の一員として組み込み、ホースセラピーの役目を与えることで、引退馬は穏やかなセカンドキャリアを歩むことができる。

「料理人としてできることとは?」。ディスカッションは続いた。

持続可能な循環型農業によって生み出された野菜が流通するためには、まずその野菜が美味しいことが前提となります。野菜としての商品価値を高めるために料理として実際的なアドバイスができる部分もあるでしょう。また、プロの調理によって野菜の価値をさらに高め、広く知ってもらうお手伝いも可能です。さらには、ホースセラピーという観光コンテンツとレストランが連携することによって相乗効果が生まれるかもしれません。メンバーは実際に馬にふれながら、自分に何ができるか?料理人同士が手を取り合うことによってどんな可能性を生み出せるかを模索します。
実り多く、大切な課題を得た1日となりました。